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「自分の表現方法」と出会う

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Chikirin著『ゆるく考えよう』を読んで。
 

自分を伝える方法は「言葉」だけじゃない

<「自分の表現方法」と出会う >という章に、とても共感した。

人はみんな自分の中に「何か」を 持っていて、表現する最適な方法も人それぞれ。誰でも多用する「話し言葉」だけじゃなく、書き言葉、小説、写真、演劇、音楽、声、短歌、ビジネス、映像、プログラミング….など、方法は実はいくつもある、とChikirinさんは述べる。

誰かに自分のことを伝えたい、理解してほしい、自分自身、今自分の中にあるものを理解したい、というのは、誰もが持つ自然な欲求です。だから、その「自分の中の何か」をうまく表現できる方法やツールを手に入れられたら、とても幸せでしょう。

今もしあなたが、「誰にも伝えられない、誰にもわかってもらえないことがある」と感じているとしたら、それはコミュニケーション能力が低いわけではなく、もしかしたら「自分の表現方法とまだ出会っていないから」なのかもしれません。

まったくそのとおりだと思う。

「自分」なんてものはよくわからないからこそ

自分が思っていること、感じたこと、誰かに言いたい事柄なんかを、誇張なくありのままに表現するのは本当に難しい。そもそも「自分」なんてものはよくわからない。

でもだからこそ、少しずつでもそれを削り出して、ホコリをはらって、丁寧に磨いていく作業はとても楽しかったりする。磨いたものを「自分はこう思います」と誰かに差出して、渡した相手に深く響いてもらえれば、そんなに幸せなことってない。

そんなことを考えると、必ず『暇と退屈の倫理学』のあとがきを思い出す。「暇と退屈」という誰でも感じる問題を、1冊の本にまとめ上げたことについての著者のことば。

この本を書き上げてみて、これはあのときに言った「フィロソフィー」かもしれないと思った。別に20年の間、同じ問題を考え続けてきたわけではない。そうではなくて、「俺はこういうことを考えているんだ。君はどう思う?」と手渡せるものができたという意味である。

あー、かっこいい。

おしまい。 

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