2017年7月2日、旅行で熊本市を訪れたので、「熊本城」を見てきました。
熊本城に行くのは2度目。2016年4月の震災後、災害ボランティアで1週間ほど滞在したときに、お城の外周をよく歩きました。
初めて目にしたお城は、もちろん地震のダメージはいたるところにありましたが、想像以上に大きく荘厳な建物でした。
“心温かく保存された城”
市街地のすぐそばにある熊本城は、地域のランドマーク的な意味を超えて人々の生活の一部として共存している、そんな印象をうけました。
単純に、自分が住む街にもこんなすばらしいお城があったらなーと、とても羨ましかったです。
小説家の村上春樹もエッセイのなかで、熊本城の思い出についてこう述べています。
それはそれとして、お城のまわりを走るのはなかなか楽しかった。熊本城はとても美しく、そして心温かく保存された城だ。市民みんなが城を大事にしているという印象がある。
お城は地勢的にも精神的にも、その昔から今に至るまで、熊本という街の中心をなしているし(まるで心臓のように)、人々は日々の生活の中にお城の存在をうまく組み込んでいるように見える。
【「ラオスにいったい何があるというんですか?」p220】
今回見た熊本城も、そのステキな印象は変わりませんでした。
着実に修復が進んでいる
未だに城内のほとんどは立ち入り禁止になっていました。けれど「加藤神社」など、北側の一部は解放されています。
↑見学エリア図(熊本城HPより引用しました)
青のラインで囲っている部分は立ち入り禁止。外周しか歩くことができません。
戌亥櫓(いぬいやぐら)
二の丸広場から見えます。石垣の片側がほとんど崩れ落ちていて、まさに一本足で支えている状態は変わっていませんでした。
加藤神社
城主である加藤清正公を祀っている神社。2016年6月8日より参拝できるようになっています。境内から天守閣の再建の様子が間近で見られます。
↑天守閣。巨大な鉄骨が組まれています。
定点写真でくらべてみると
1年前に撮った数枚の写真をもとに、今回定点で撮影してみました。
熊本大神宮
↑撮影:2016年5月20日
石垣の上にあった東十八間櫓が崩れて、下の建物をつぶしている状態でした。
↑撮影:2017年7月2日
崩れた東十八間櫓はキレイになくなっていて、石垣はモルタルとネットで保護されています。ちなみに将来の修復のため、壁(荒土、漆喰)、柱、瓦などすべて選り分けられて再利用されるそうです。
北十八間櫓(きたじゅうはちけんやぐら)
↑撮影:2016年5月20日
↑撮影:2017年7月2日
こちらも片付けが終えられて、モルタルとネットで石垣を保護しています。
石垣の修復
熊本城の石垣はかなりの見応えがあります。その反り立った壁は忍者でも引き返してしまうことから、通称「武者返し」と呼ばれています。
↑加藤神社からみた石垣
崩れた石垣は、その場所や数、個々の寸法を記録したあと、番号を付けて仮置きされています。二の丸広場の北側には、膨大な石が並べられていました。これらはもとの位置を特定してから積み直されるそうです。
ちなみに崩れた石垣の中には、観音様が刻まれた石が発見されています。石は加藤神社に展示されていました。
熊本城のインスタが面白い
インスタグラムの熊本城オフィシャルアカウントでは、お城の修復写真がアップされています。古来からの屋根瓦や石垣に、巨大な鉄筋鉄骨とクレーンが組み合っている様子は、なかなかアンビバレンスな感じで面白いです。
下通りの夜はすごい賑わい
熊本城のすぐそば、繁華街である下通りはあいからわず賑わっていました。神戸の三宮にも引けをとらないくらいの人だかり。
1年前は上通り、下通りにも地震の傷跡はかなりありました。立ち入り禁止の建物、崩れ落ちた壁、浮き上がった舗装路、営業時間を制限しているお店など。
今回見た限り、商店街は元どおりになっている印象でした。
熊本はとても魅力的な街。熊本城の修復には20年とも報道されているので、また足を運んでその様子を見ていきたいです。
外部リンク>>熊本城の石垣、復旧へずらり 地震から1年、工事本格化
・・・以上、熊本城の訪問記でした。